公開日 2020/01/28 18:00
変更日 2024/06/20 15:44
Yumiさん
韓国ドラマや韓流スターの来日イベント司会・MCで引っ張りだこのYumiさん。この仕事をすることになったきっかけや、これからの夢をインタビュー。意外な過去も明らかに…!?
「Yumiさんが司会なら、このイベント絶対楽しい!」
イベントに訪れたファンたちにそう思わせるMC・司会として活躍するYumiさん。
韓流スターのファンミーティングに参加しているうちに、いつの間にかYumiさんのファンになっていたという人も少なくありません。
なんとファンミで彼女のプラカードを掲げる人もいるんだとか!
今の仕事をすることになったきっかけや、これからやってみたいことなどをK-boardに話してくれました。
Yumiさん
その話、すると長くなりますよ~(笑)
一番最初は大阪で歯科衛生士をしていたんです。
場所が鶴橋だったので、土地柄で韓国人の患者さんが多かったんですね。
私は韓国語が喋れるので、よく先生と患者さんをつなぐ通訳もしていて。
そうするうちに、通訳って楽しいなと思うようになったんです。
子供の頃からの夢がアナウンサーだったこともあって、話すこと・喋ることは元々好きでした。
そんなこともあって通訳になりたい!と思い、専門の学校へ行くために貯金をしなきゃと北新地のクラブでアルバイトを始めました。
ここ、クラブ(語尾↑)じゃなくて、クラブ(語尾↓)ね!笑
そう、なんだかそれが合ってたみたいで…
お店のママや先輩のお姉さんたち、お客様もみんな良い人だったのもあって、No.1になっちゃったんです(笑)
きっとその頃は若くて純粋だったから、周りの方たちには珍しかったんじゃないかなと思います。
私自身もとても楽しく働けて。
母も同じ仕事をしていたので、二人でお店をしようということになったんですね。
でも母が体調不良になってしまって、仕方なく私一人でお店をスタートすることになりました。
25歳のときです。
Yumiさん
そうなんですよ(笑)
その頃はもう通訳の学校に通い始めていたので、昼は学校・夜はお店の生活でしたね。
大変だったけど夜のお店は良いこともあって。
お客様のなかに弁護士の方がいたんです。
当時、裁判所の通訳が足りないという記事を新聞で読んだことを思い出して、そのお客様に「実は韓国語の通訳になりたい」と相談したところ、本当に通訳が足りないからすぐに連絡したほうがいいよ!と勧められて。
裁判所への連絡先なども教えてくれました、有難いですよね。
裁判所に連絡すると、記事の内容は本当だったみたいで、すぐに試験を受けさせてくれたんです。
当然、裁判に関する勉強も必要ということで、試験を受けたあともすぐに「そこの本屋にこの教材とこの教材あるから、買って勉強してください」と言われて、とにかく猛勉強。
気付けばあっという間に裁判所で通訳の仕事をしていました。
裁判所での通訳の仕事は、数年続けました。
2~3年もするともうベテランのような扱いになってしまって(笑)
そうなるとだんだん…例えば殺人とかそういうのなんですけど、重い事件を担当することが多くなってきたんです。
あまりの重さにしんどさを感じるようになってきて。
気持ちの面でちょっと厳しいなと。
あと、やはり通訳はあくまでも“黒子”なので、「自分の言葉を喋りたい」という気持ちも大きくなったきた。
夜のお店も続けてましたし、ここで一度裁判所での通訳はやめたいなと、新たにアナウンススクールに通い始めました。
はい、アナウンススクールでレッスンを受けながらオーディションを受けました。
一番最初のお仕事がグルメリポーターでしたね。
その頃はまだ単発や不定期なお仕事でした。
いえいえ!
その時もお店は続けていました。あと裁判所の通訳も。
そうなんですよ(笑)
25~30歳くらいまではお店・裁判所の通訳・リポーターの三足の草鞋だったんです。
28歳くらいのとき、αステーションでラジオのお仕事、KBS京都でテレビのお仕事がそれぞれ月曜から金曜までのレギュラーで決まって。
平日はテレビ、土日はラジオという生活になりました。
そこでようやくタレント業に集中できるようになったんです。
Yumiさん